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旅行記

〜DRY→ユーロバイク(イタリア→スイス→ドイツ)自走の旅〜

今年が6回目のユーロバイク出張。
遅ればせながらDRY本社工場へ行こうと思い立った。ディストリビュータとして実際に自分の目で見に行こうと。
DRYがあるイタリア・ブレシアからスイスを越えユーロバイク会場までは、インターネットのグーグルマップでみると400kmからルートによっては500kmくらいだ。
<行けるかな...>10年前に使ったヨーロッパ地図を広げる。本物の地図は標高や町の大きさがわかるからいい。道を探す。ドキドキしてきた。

想像できないヨーロッパアルプスの峠の長さ。普段使い慣れているコンビニや自動販売機などないだろう。リュックを背負って数日間の走行に身体がもつだろうか...。不安なことを少なくするためにもイタリアの道路や自転車事情に詳しく毎年現地のグランフォンドに参加している知人に聞いて背中を押してもらった。

ちょうど1年前の日本のニュース。
政権が変わり新しい総理が誕生した。今はもう総理が変わり、現在も落ち着いていない。(現在=出発時8/25)毎年社長が変わる会社のようだ。日本はヨーロッパで信用があるだろうか。
最近のニュース。(出発時8/25)
高齢者の所在不明問題。幼児虐待の事件が後を絶たない。安心・平和の国、日本と言われているが、本当にそうなんだろうか。
日本から外国へ旅立つ時、<そういう日本>から行くんだと改めて思う。それは、日本とは違ってヨーロッパではTVでCNNが流れ各国のニュースを英語で見ている。日本でヨーロッパの事を知っている以上に、ヨーロッパは日本を知っているのだ。
去年の旅のテーマでは、東京でもその試みがあった公共レンタル自転車を取り上げた。ヨーロッパでも各都心で取り入れ、利用者が多く定着している。パリでの成功例は、実はマイカーの乗り入れ制限の政策を平行して行ったからだ。日本の話題作りが先行した感のある取り組みは、現在どうなっているのだろうか。
機上で1年前のことを思い出した。

飛行機の乗り換えで入国手続きにものすごく大勢の人が並んでいた。乗り継ぎ時間があまりないところ、長蛇の列に並ぶが全く進まない。係員に言っても「みんな急いでるの!」の一点張りだ。
アナウンスで私の名前が呼ばれている。私が乗る便のファイナルコールがかかっている!...日本で生活しているとサービスが行き届いて受け身なことに慣れてしまっているが、ココで自分から動く事のスイッチが入る。
出発時刻は遅れたが、なんとか予定通りの乗り継ぎ便に乗れた。

同日の夜、イタリア・ミラノ空港に到着。
自転車の受け取りを待つ間、DRYのM氏が空港まで迎えに来てくれるという言葉が少し心配であった。約束したのは彼の夏休み前で1ヶ月も経っている。しかし、不安は外れ出口には、M氏の姿があった!握手を交わし、あいさつをした。駐車場へ歩きながら彼が、
「明日、会社を見たらサイクリングへ行こう!とても美しい湖があってサイクリストがトレーニングをしている場所だ。」と言う。
ただ、うなずく私。
DRYがあるブレシアはミラノ空港から車で2時間くらい。
「マキはスペシャルゲストだから、すごくいいホテルを予約したから。ま、行けばわかるさ。」
ミラノ周辺の工場地帯は、まだ夏休みのよう。高速で抜けて、ワインで有名なブドウ畑の脇を通る。
ブレシアの中心から少し離れたそのホテルは、1600年代に建てられたイタリア様式のお城をホテルにした豪華な建物だった。
私が泊まってもいいのかと思うと同時に、これは5年間の褒美なのだとありがたく思った。

翌朝M氏が迎えにきてくれ、彼が毎朝行くというカフェに寄ってから会社へ行く。
初めてのDRYの会社。
普段メールだけの人とも、やっと顔を合わせて握手をした。
思っていたよりも工場は広く、内部には細い繊維が集まる繊細な機械があった。

 >> DRY工場のレポートはこちら

もっとゆっくりと会社見学をするかと思ったが、M氏はせかすように、
「さあ、サイクリングへ行こう!」
と用意する。

日本での朝練程度の準備をして二人で出発。
私は彼が行く道にまかせて後につく。
道の幅はそれほど広くなく自転車レーンはない。ほとんど信号がなくサークル交差点でスムーズに進む。
ボトルの水はまだ減っていないのに補充といって止まると水くみ場がある。
フレッシュ、ノーマル、ガス入り、と3つの蛇口からセンサー式でくめる。その水はとてもおいしい!ボトルの水を入れ替え、再出発。
アップダウンが続く。サイクリストとすれ違ったり、抜かされたりとサイクリストの定番コースのようだ。M氏が、10年前のジロ・デ・イタリアで、この道を通ったと教えてくれた。
ロードバイクが多かった。他にもクロスバイク、マウンテンバイクもいた。3〜4人のトレーニング風、女性同士、単独...どの車種でもサイクリングというよりはトレーニングのように負荷をかけてスポーツをしているようだ。ほとんどの人がオリジナルチームジャージを着ていることから自転車に乗ることに対する意識の高さがうかがえた。
25キロほどでガルタ湖に着き、サロの町並みを見る。
他のサイクリストに抜かれるとスピードアップして追走する。
ちょっと脇道へ入る。他のサイクリストも出入りしている。そこから登りが始まるようだ。するとM氏のペースが落ちてくる。私が前へ行き引く。
「コンパクトだから。」
と言うと、
「オレもだ...重過ぎ...」
登りの途中でジェラート休憩。私が東京在住だから登れないと思っていたようで、どのくらい走るのか、どこを走るとか、日本でサイクリストと話す内容と同じように話す。国が違ってもサイクリストの話題は同じなんだと嬉しく思った。
再び登る。この登りはサイクリストが冬のトレーニングで何本も登るんだと教えてくれた。やはり冬にそのようなトレーニングをするのがわかった。
湖畔から400mくらい登った。
海のように見えるガルタ湖はイタリアで一番大きな湖。9月にはいい風が吹きセーリングが行われるそうだ。
「ベルベデーレ」
私がわずかに知っているイタリア語を口にすると、M氏が驚いていた。
下ってサロの町でランチをとる。
そして来た道を帰った。

走行距離 72キロ 獲得標高 950m(M氏のサイクルコンピュータ)

夜はブレシアの街へ連れてってくれた。
M氏と奥さんと3人でシーフードレストランで食事をした。
すっかり忘れていたが、奥さんとは私が初めてユーロバイクへ行った時に会っていた。私が何回もブースへ行ったことを覚えていてくれていた。
食後は夜の街、古い建物や遺跡、お城などを案内してくれた。
この出張を計画したとき、自分でDRYへ行って1時間くらい見学してすぐに失礼する予定だったが、すっかりと甘えさせてもらった。
こんなに良い環境、私が10年、、、いや、20年前だったら、M氏に頼み込んで走りながら働かせてくれ、と言っただろうな...。

自走の旅 1日目(8/27) スタート:イタリア・ブレシア(海抜150m)

朝、M氏がホテルまで見送りに来てくれた。
M氏が携帯電話をとりだして、「マキ、携帯番号は?」
私「持っていない。」
M氏「うん、いいんだ。キミには必要ない。グッドラック。」
と固い握手をしてユーロバイクで会うことを約束した。

西へ向かう。
イゼオ湖へ行きたいのだが、1本道はない。町から町への入り組んだ道を太陽とは逆の方へ適当に走る。なんか違うかな、と思ったら人に聞く。その繰り返しで15人くらいには聞いただろう。40キロくらいの距離を約3時間かかってしまった。
イゼオ湖は、トンネルが暗く交通量が多い右岸より左岸を通るのがいいとM氏が教えてくれた。ハンドルを握ると前へ行きたくてひっちゃきになってペダルを踏んでしまう。サイクリストも大勢走っていた。
まだ平坦な道をグングン飛ばして走った。
ふと、この開放感がたまらなく気持ちが良いと改めて感じる。
初めて自転車で旅をした三浦半島を走ったときのように、頭の余分な考えや身体についたぜい肉のようなものが流れる景色と一緒に流れとれていくようだった。

イゼオ湖を眺めながらドンドン進む。
約400キロを4日間で行く予定は無理していないけども、最終日の天気予報が雨でしかもぐっと冷え込むとあるため、できれば3日間で行きたいとなるべく進む。
気温は30℃。それまで東京が35℃以上だったから快適だ。

お昼ごろ、バーに入る。
メニューを見るとイタリア料理のメニューが読める。
ポモドーロを食べた。おいしかった。
バーには、近所の工事現場のおじさんたちや観光客がランチを食べていたり、子供がジュースを買いに来たり、常連さんがエスプレッソを飲んで世間話をしている。お酒だけでなく、アイスクリームや氷を売っていて、定食屋でもあり喫茶店のようでもあり人が集まる場所になっている。

過去5回のユーロバイク出張で、10年前のヨーロッパの旅をベースに何かと自転車の理想を探していたのだと思う。ヨーロッパは、ひとくくりに見えるけど、国によって文化も目にする車種も違う。私が探していたのは、イタリアだったのかもしれない。道路環境は日本とさほど変わりないが、ロードバイクに乗る人はちゃんとジャージを着てスポーツとして乗っている。食べ物はおいしいし、人は人当たりが良く適度に適当だ。

湖に沿ってしばらく走るが、一周してしまうのではないかと思うほど長く感じたので、人に聞く。まだ先のようで、しばらく走って左折し北上する。少しづつ登るがまだ傾斜は緩い。
夕方になりホテルが目についたが、ちょうど追い風が吹いてきたからもう少し走る。
そろそろ休もうとすると、ホテルが見つからない。建物自体少なくなってきている。バーを見つけ掛け込んで、ホテルが近くにあるか尋ねた。
400m先にあると教えてくれた。
「泊まりたいんだけど、空きはある?」
1泊30ユーロ。身の丈にあった宿でホッとする。
ガムシャラにハンドルを握っていたので、気がつくと1枚も写真を撮っていなかった。

着:イタリア・マロンノ 走行距離:124キロ

自走の旅 2日目(8/28) スタート:イタリア・マロンノ

2日目の今日は、いよいよ山岳アタックコース。
今年のジロ・デ・イタリアの19ステージでゴールにもなったアプリカを越えてティラノ、サンモリッツまで行きたい。峠の長さもどのくらいかかるかもわからない。ワクワクドキドキだ。
山の気候になったためか少し涼しくウィンドブレーカーを着て出発した。傾斜はまだ緩い。
分岐のエドロという町は山の方では大きな町でこれから走り出すサイクリストがよくいた。ここまでくるとサイクリストが本格的なタイプ、選手のような人に見える。
道路にはジロのときの<BASSO>などペイントされている。
5%くらいの傾斜でラクショーだなと思っていると、前におじいさんが普通の自転車で登っている!
私「アプリカへ行くの?」
おじいさん「そう、アプリカ!」
私「わおー!私も!それからサンモリッツへ行くの!」
おじいさんは彼の額の汗をぬぐうしぐさをしてフーッと言った。
アプリカへの道は山の中腹を谷と並行して進む道で、どこを見てももう山しかない。
あっけなくアプリカへ着き、写真を撮っていると、さっきのおじいさんに抜かれてしまった。町の先の方で再び顔を合わせた。たぶん、気をつけてな、と言っていたと思う。イタリア語はわからなくとも何か通じる。

それまで来た傾斜とは違って急な坂道を下り、ティラノへ向かう。
ティラノで踏み切りがない電車の通過を待つ。ここでやっと有名な登山電車だと気がつく。
数名のサイクリストとすれ違った。彼らが冬用のシューズカバーや冬用のグローブ、ウィンドブレーカーというより厚手のヤッケを着ていた。どれだけ登っているのかと気が遠のく。登りが一気にきつくなり、イタリアを出てスイスに入った。10%くらいの登りが続く。

バーを見つけ、早目に昼食をする。
今日は土曜日で休みのところも多くなるだろうし、もっと登ったら、いつ食べられるかわからない。スイスへ入ったが、このバーもイタリアメニューだった。
ボロネーゼを食べた、これもおいしかった。
バーのおねえさんがいい。昨日のランチで入ったおねえさんも、途中で寄ったカフェのおねえさんも、DRYのM氏が毎朝通っているカフェのおねえさんもかっこよかった。
その後は、再びきつい登りが続く。いい勘をしていた。しばらく食事がとれるようなところがなかった。

土地柄のおろし風なのか、天気が変わる風なのか、向かい風が強く、なかなか進まずめげそうだった。しかしサイクリストが多く気持ちはもった。スピードは私がリュックがなかったらついて行けそうだったが、そうは行かず単独走だった。

山の中にポツンとカフェ&ホテルを見つけ、休む。
ここまでもだいぶ登ってきたけれど、まだ峠の山頂が見えない。
車で来ていた人に
「まだ上へ行くの?」と聞かれ、
「ええ。サンモリッツまで。」と答えると、
「んー、今日着くかなー。」と言われる。
自転車に乗らない人はよく大げさに言うんだよなと思い、気合を入れて再出発をする。
山頂が見えてきて峠はそこで終わりかと思ったが、まだ先があり、それが何度も、何度も繰り返された。
標高が高くなると風が冷たく山の天気で小雨が降ったりやんだり。家も木もなくなって生き物が生きられる域ではない感じ。
登りだから身体は熱いがウィンドブレーカーだと、こもってしまい調整が難しい。リュックについているベストを使った。これがあってよかった。
雲がでてきた。これ以上、日が暮れたら気温が下がってしまう。時間をかけられない。
山頂が見えた!もうすぐ...! ベルニア峠 2330m
立ち止まるとものすごく寒い。すぐ脇には氷河があり、周りの山は3000m級だ。
カメラのシャッターを押してくれたイタリア人に
「今日はどこから来たの?」と聞かれ、
「アプリカのもっと向こう」
「えーーッ!」
と驚いていた。
想像できないほどの長い峠を越えたことは、自分の限界を高めてくれたようだった。

頂上の500mほど下にホテルがあり、その建物を風除けに持っているものすべて、ウィンドブレーカー、レインジャケット、レッグウォーマー、エアロシューズカバー、キャップ、、、を着て下りに入った。
これから登ってくる同じスピリッツを持ったサイクリストと声を掛け合いながらお互いを励ます。
寒さに耐えながら下りに下った。
サンモリッツの2キロ手前の町、セレネアで宿を探す。こじんまりとした町が好きだからサンモリッツまで行かなくともヨシとする。

そして夕飯。ホテルのレストランへ行くと、メニューが読めない。ドイツ語圏に入ったのだ。コーヒーもイタリアで見た人の手で入れるマシーンでなく、ボタンを押すものになってしまった。
スイスは、アルプスを境にイタリア語圏とドイツ語圏に分かれているのがわかった。

着:スイス・セレネア 走行距離:98キロ

自走の旅 3日目(8/29) スタート:スイス・セレネア

朝、窓を開けると息が白かった。
標高が高く山間で陽が差していない。それだけではなく昨日の風の強さは天気が変わる証拠だった。予報にあった寒気がきた。
持っているものをすべて着込んで出発。前日の山頂よりも寒い。レッグウォーマーは冬用で足はカバーしているが、パンツは夏用でお尻が冷たい。指きりグローブでは指がしびれる。

サンモリッツはすぐだった。
風はなく湖面には波が立たずスイスらしい美しい景色が映し出されていた。
その先を右折。ユリア峠へ突入。
アプローチの登りはきついが、ずーっと見える岩山が美しい。
ニュージーランドのミルフォードへ抜ける道。
オーストリアアルプスを見ながら通った道。
スイスのフルカ峠。
過去に走った美しい景色を思い出したが、これほどまでに神聖な地、神様に近いところを感じた場所はなかった。脇に見える山頂には昨晩降ったような新しい雪があった。

この旅の1日目で日常の余分なものを取り落とし、2日目で限界を越え、3日目のこの日は残った魂で研ぎ澄まされた山岳を登る。
この旅は、たった4日間だけど10年かけてできたこと。
10年前のツーリングの旅を終えたとき、もう観光地は走らない山を走りたいと締めくくった。ヨーロッパで見た光景に影響され、帰ってすぐロードバイクを買い、ロードに乗るようになり、仕事も自転車のことになった。ロードバイクでトレーニングをしていたから力がついてこの距離、峠を越えられた。またユーロバイクへ行き続けていなかったら、このチャンスはなかったと思うし、地理的にもわからなかっただろう。
今まで選択したすべてが、合っていても間違っていても、ここへ辿り着いた。すべての出会いに感謝を捧げる思いでユリア峠(2284m)を越えた。

グングン下る。
あとはもう、下るだけだ。
標高が下がるにつれ気温が上がり着ていたものをリュックにしまって、半袖・短パンになれた。
だいぶ下がってもスイスは周りの山々が見えて美しい。
今日はこの辺に泊まろうかとホテルを探すが見つからない。突き当たりの駅に辿り着き駅員さんに尋ねると、この町にはホテルがないから次の町に行きなさいと言われ、ペダルを回す。
次の町で、こじんまりしたホテルを見つけて中へ入る。
「泊まりたいんだけど...」
私のセリフはまだ途中だったが、奥にいた女性はあからさまにイヤな顔をした。英語が話せる人がでてきて駅向こうにホテルがあると教えてくれ、その通りに行く。
近代的な建物のホテルには旗がなびき、その旗にはハイジの顔。
この町はハイジの里で有名な土地なのだろう。日本人団体客が大勢泊まっていた。

着:スイス・マイエンフェルト 走行距離:114キロ

自走の旅 4日目(8/30) スタート:スイス・マイエンフェルト

予報通り、天気は雨。しかも冬のように気温が低い。TVをつけると、ライブカメラの局で2000mくらいの山には雪が積もっている。昨日や一昨日でなくてよかった。
朝8時頃には雨がやんだが冷え込んでいる。路面が乾いていないしまた雨がいつでも降りだしそうだ。冷えて具合を悪くしないようココは堅く電車にする。
久々に朝をゆっくりと過ごし、DRYへ電話した。すると経理の人がでて、
「オーッ、マキー!マキ!○〜☆×□〜〜!!」
イタリア語で興奮して話してきた。
M氏に代わり、
「昨日、マイエンフェルトに無事着いた。今日は雨が降って冷たいので電車でリンダウへ行く。」私は伝えた。

キップ売り場もない駅員さんもいないホームだけの駅から、電車へそのまま自転車と乗り込む。車掌さんが来てリンダウまでのキップと言うが、イーチと言われ、乗り換え駅までのキップを渡された。
1時間ほどで乗り換え駅のザンクト・マルグレーテン駅に着き、降りてみると気温は高く、路面は乾いている。
電車はやめて再びペダルを踏む。
リンダウの表示を見つけ、道なりに行くと、すぐにスイス国境がありドイツに入った。
表示がないところで人に道を尋ねて、そちらへ行くとサイクリングロードへついた。ドイツのサイクリングロードは道も表示もしっかりしているから安心してゆっくり走る。日本でいったら乗鞍の向こうから走って多摩サイに着いた感じか。旅のフィナーレにいいサイクリングだ。

途中、おばちゃん二人がランチをしていた。お互い「どこから?」と聞く。
おばちゃんたちは「オランダ」と答えたので、
「オランダから走ってきたのー!?」と言うと、
「バスよ、バス。」と答えた。

平坦の川沿い道、ジャリ道、森の中の道、ヨットハーバーの脇の道...ツーリングスタイルで走る人たちと同じスピードで走る。年配のグループ、老夫婦が多く、夏休みの最後で子供連れの家族も多い。
ツーリングの装備一式揃えたら、5つ星ホテルよりも高くつくと思うが、家族揃ってペダルを踏んだら良い思い出になるだろうと、ほんわかした気持ちになった。
私の旅の1日目から風景を思い返し、アルプスを越えてきたなと実感をかみしめながら、ゆっくりと進む。
風が強まり、雨が降り出してきた。
私は車道へ戻り、スピードを上げてリンダウへ向かった。

ホテルのチェックインには少し早かったので、あの古い自転車が置いてある店をのぞく。すると、おいしそうなパン&スイート屋さんだった。ひとつスイートをいただいて、コーヒーを飲む。通ってしまいそうだ。

そして過去2回泊まっているホテルへ行く。
外観は変わっていないが、中へ入ると内装が今風に改装されてしまった。
フロントには初めて見る人。
「オーナーが変わったんだね。」
と私が言うと、
「そう、ガールフレンドと始めたんだ。」
とそこで初めて知った。

確かに予約したメールの返信に、私の名前にミスターがついていた。おかしいなと思ったけど、行って見なければわからないと思っていたが、やっぱり変わってしまったんだ。
昨年泊まったとき、エリック・ザベルのカードをくれた自転車好きの元オーナー。
前回も1泊だったから、今回は連泊しようと予約をしていた。
今年はブレシアから自転車できたんだとか、あれからヤン・ウルリッヒの本を読んだとか、毎晩定食にして!とか、話そうと思っていた。
この先には合宿として仲間と一緒にココのホテルを拠点としたら楽しいかなとか考えていた。
人が変わってしまったら、このホテルに泊まる意味はない。
やりたいことはやりたいときにやらなくちゃと思った夜だった。

着:ドイツ・リンダウ 走行距離:28キロ

ユーロバイク1日目 (9/1) リンダウ⇔フリードリヒスハーフェン

ユーロバイクへ出勤だ。
寒い朝。持っているものすべて着込んでも寒い。
鼻先が冷たく感じるほどだから10℃は切っているだろう。
遠くに見えるアルプスの山々が白い。さらに雪が降ったようだ。
車道を行き、フリードリヒスハーフェンの表示を見つけてはそちらへ行くと高速になっているので何度も道を間違える。おとなしくサイクリングロードを走る。
町へ着くと、去年、道路の拡大工事をしていたからか、さほど渋滞はない。会場近くは車が詰まっていて、私は脇をスイスイと進みメッセへ着く。

はじめにDRYへ行こうとしたが、Zienerのブースが先に見えた。
担当者と顔を合わせる。
それから、DRYへ。
M氏と再会し、無事を喜んでくれた。

その後ざっくりと会場を歩く。会場内はさらに大きくなっていた。ざっくりと見ただけでも目がいっぱいになってしまう。人で酔う。

走行距離:63キロ

ユーロバイク2日目 (9/2)リンダウ⇔フリードリヒスハーフェン

昨日より暖かくなった。
遠くの山々の雪が少し解けている。

会場につき、気合を入れて、よく見る。
興味があるウエアについて、よく見ていると、メーカースタッフにチェックされる。カメラを向けるとダメと言われる。
私は一般サイクリストとして見ているだけなのに、それだけパクる人が多いのか、私がアジア系だからか、そのメーカーがそうしているのか。
他のあるメーカーは何も言わなかった。そのウエアはデザインだけでなくサイクリストとして気になる細部までも手が行き届いていた。
オリジナルティーが確立されているところは、他が気にならないのだ。

イタリアの出展社が集まっているホールへ行き、もう1回チッポリーニのブースでビデオを見てかっこいいなーと思っていると、ご本人が横にいてびっくりした。
やっぱり伊達男。シャツにジーパン姿でもかっこいい。

走行距離:59キロ

チューリッヒ空港へ(9/3) リンダウ→フリードリヒスハーフェン<フェリー>コンスタンツ→チューリッヒ

やっと季節通りの気温に戻った。
不用なものはホテルに置いて、必要なものだけを持って小さくなるようにまとめてリュックを背負う。
リンダウの最後にパン屋へ寄って、おやつを買って出発。
会場へ行く方向と同じだけど、その都度、前の人について行ったり、車道とサイクリングロードを組み合わせて毎回違う道を通っていた。
道がわかってきたり、英語がやっと少しはスムーズに口からでるようになる頃、旅が終わる。
フリードリヒスハーフェンの港へ着き、フェリーを確かめる。次のフェリーはコンスタンツ行き。予定していた町ではなく地図もないけど、3年前に行った町だからなんとかなるかとフェリーに乗る。
パン屋で買ったおやつをだしてコーヒーを飲む。
「あと、チューリッヒまでひとっぱしり。気をつけて行こう。」
コンスタンツの町へ着き、1号線を探しながら走る。すぐにスイス入国のゲートをくぐり、3年前を思い出して進む。
なだらかな丘、牧場、畑が続く。半袖、短パンになれるまで気温が上がった。
スイスは、高速は緑、一般道は青と表示の色が分かれているのでわかりやすい。イタリアはわかりづらくて、何度も高速を走ってしまった。
道も整備されていて特に大きい街になると自転車用レーンがあって走りやすくなる。
バスレーンに自転車が可能の表示や右折があるところは直進車の横に直進用の自転車レーンがある。
車の流れと自然に走れるのでスイスイっとチューリッヒに辿りついてしまう。

予約していたホテル近くの公園のカフェで一息ついた。
旅の終わりを味わいたくてコーヒーを飲む。
今日の道は峠もなく、難しいことはないけど、何かあっては旅のすべてがおじゃんになると、慎重に走って来た。それからの開放。すべてが詰まったリュックからも開放。
今回の旅で走って見た風景をはじめから思い返す。
今日も走りながら思った。やりたいことはやりたいときにやったほうがいいと。
無事に終わってよかった。

着:チューリッヒ空港近く 走行距離:90キロ